学校だより〜6月
- 公開日
- 2012/06/07
- 更新日
- 2012/06/07
学校長から
※※ よっぽどの縁 ※※
5月26日は天候にも恵まれ、無事にそして計画通りに運動会を実施することができまし
た。スローガン「巻き起こせ 赤黄青の 熱い嵐 富っ子パワーで 完全燃焼」のもと、
たくさんの頑張る姿を見ることができました。保護者の皆様方の熱い応援、そして後片づ
けのお手伝い、ありがとうございました。PTAの役員の皆様には駐車場や会場の整理、
パトロール、写真撮影などでお世話になりました。
3日には裾野市民文化センターにて「私の主張」大会が予定されており、本校からは、6年生の粟野興紀さんが代表として、「食事の力」という題で発表をします。ご都合のつく方はぜひ聞きにいってほしいと思います。また、2日には裾野陸上競技場にてリレーカーニバルが行われます。本校から4〜6年生の男女11チームが出場します。応援をよろしくお願いします。
平成22年の学校安全保健会委員会でお話をしていただいた奈良薬師寺執事大谷徹奘さんが、本校でも話された「よっぽどの縁」について、ある雑誌に以下のような文を書いていました。
『先日、聖徳太子ゆかりの、法隆寺に参拝しました。修復中の講堂の屋根瓦一枚を寄進したところ、「十七の憲法」の第一条と第二条の書き下し文が記されたお礼状を頂戴しました。そこには「和」という字が「やわらぎ」と読まれていました。その読み方を知った時、「和」という言葉には、人々にとっての幸せとは何かという「目的」と、その幸せになるための「手段」との両方の意味が含まれていると感じました。つまり、「和」という言葉は、「和」という「理想」であると同時に、その理想に近づくために、誰もが「和(やわらぎ)」の心をもって生きなければならないという、両方を示しているということです。 戦後、一人一人の個性を大事にと叫ばれ、そうした教育が続けられてきました。それは良いことに違いないのですが、大事にし過ぎていつのまにか「我」の世界の花盛りです。「他より我」を貫き、皆が「我利我利」の「我」を主張すれば、ギスギスした世の中になるのは当然です。そこから「孤立」や「無縁」が生じてくるのです。
では、「やわらぎの心」を持つにはどうしたらよいのでしょうか。その鍵は「無縁」の対極に「有縁(うえん)」があると知ることから始まる、と私は考えています。「有縁」すなわち、すべてのものごとは「縁が有って」成り立っているのだということを心静かに見つめ直すことが大切です。「縁がなければ、親子にも、兄弟にも、夫婦にも、家族にも、友人にもならなかったのだ」と気づき、さらにもう一歩進めて、その「縁」は「たまたま」でもなく「偶然」でもなく、「よっぽどの縁」なんだと思い直せた時、相手を受け入れる「やわらぎの心」が生まれます。そこには「無縁」という悪魔のささやきのような冷たい言葉は消え去り、ぬくもりのある人生が、
広がっていくことでしょう。』